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学問によって異なる「理解する」という言葉の意味

  1. 2023年08月26日
  2. 2024年04月01日
  3. kyougakusya

皆さんは「理解する」という言葉の意味はどんなふうでしょうか。

{ 教養という視点 }という書籍の中で

経営者であり数学者・物理学者である北川拓也さんと

最近、歴史家の深井龍之介さんの対談の内容に以下のような内容がありました。

簡単にですが、ご紹介します。

 

「理解する」という言葉は、

数学的には、分類できたら「理解した」とみなします。

物理学的には理解とは予測のことです。

工学的には予測だけではダメで、欲しいものを実現して初めて「理解した」ことになります。

 

書籍の中ではもう少し詳しくその違いについて説明がありますが、

同じ言葉でもどのような社会でその言葉を用いるか、

また、どのような高さや広さでその言葉を理解するか、

そして、その言葉を使う人にはどのようなバックボーンがあるのかによって

同じ言葉でも大きいか小さいかはあれど違うことが頻繁にあると再認識しました。

 

わたしたちの普段の指導の中にも

「分かった」と生徒が言いますが、それがどの程度なのか、どのレベルなのかが

さまざまあることに気を配ります。

「何でそんなことをするのか。」「あれ、おかしいな?」という

行動や考え方に出会うこともありますが、それにはたいていの場合

慣習があります。寄り添うべき慣習もありますが、

子どもの「分かった」や「こうしたい、ああしたい」には

親として大人としても子どもたちに寄り添うのではなく、教えていくという事も大切です。

 

言葉には意味がありますが、その言葉に引っ張られずに

その言葉を発している人にも十分な関心を寄せることも必要なことだなぁと思います。

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